おすすめチェロ・ソナタ Part 1はお楽しみいただけましたか?
Part 1では、ドイツやオーストリアで活躍した作曲家の作品を中心に取り上げました。
Part 2はドイツ語圏以外の国々、フランス、ポーランド、ロシアの作曲家が作ったチェロ・ソナタをご紹介します。
それぞれの国のカラーもお楽しみください!
ドビュッシー:チェロ・ソナタ ニ短調
クロード・ドビュッシー(1862-1918)が作った、唯一のチェロ・ソナタです。
このチェロ・ソナタは、ドビュッシーの最晩年の作品「フランスの音楽家クロード・ドビュッシーによる、さまざまな楽器のための6つのソナタ」の第1曲目として書かれました。
- チェロとピアノのためのソナタ (1915)
- フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ (1915)
- ヴァイオリンとピアノのためのソナタ (1917) →翌年ドビュッシー死去、最後の作品
- オーボエ、ホルンとクラヴサンのためのソナタ(計画のみ)
- トランペット、クラリネット、バスーンとピアノのためのソナタ(計画のみ)
- コントラバスと各種楽器のためのコンセール形式のソナタ(計画のみ)
ドビュッシー自身が第1次世界大戦による精神的なダメージを受けていたこと、
ドイツ的なソナタ形式ではなく、全体が繋がっている3楽章形式であること、
フランスの古典音楽の伝統を思わせる6曲の組曲の構想など、
ドビュッシーは「フランスの音楽家」であることを強く意識していたことがわかります。
そしてがんを患い、自身の死が迫っていることも感じていました。
ドビュッシーは「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」を書いた翌年に亡くなりました。
15分弱の短いソナタですが、1楽章ではチェロとピアノが物悲しい歌を歌い上げ、ピツィカートが印象的な2楽章のセレナーデを挟み、そのまま3楽章のラストまで一気に駆け抜けます。
ショパン:チェロ・ソナタ ト短調
「ピアノの詩人」と言われるショパン(1810~1849)ですが、実はチェロの曲も書いています!
ショパンは39歳の若さでこの世を去りますが、このチェロ・ソナタはショパンの生前最後に出版された作品です。
21歳の時に祖国ポーランドを離れ、憧れのパリへ到着したショパン。
そこでフランス人チェリスト、オーギュスト・フランショームと知り合います。
フランスのチェロ界で第一人者であり、作曲家でもあったフランショームは、ショパンにとって生涯に渡り親交が続いた数少ない友人の一人になります。
この「チェロ・ソナタ」はフランショームに献呈されました。
フランショームは最期の時までショパンを支え続けました。
ショパンはチェロが好きだったそう!
ショパンの作品はほとんどがピアノ曲で、室内楽曲は5曲と言われています。
なんと、そのうち4曲がチェロの入った作品なのです!
- 序奏と華麗なるポロネーズ (Vc. ,Pf.)
- ピアノ三重奏曲(Vn. ,Vc. ,Pf.)
- マイアベーアの「悪魔ロベール」の主題による協奏的大二重奏曲(Vc. ,Pf.)
- チェロ・ソナタ ト短調(Vc. ,Pf.)
このソナタはショパンらしいピアノの華麗な技巧を聴かせてくれる一方、フランショームの助言もあったのでしょう、チェロの雄弁な音色も存分に聴かせてくれます。
二人の友情が感じられる作品ですね。
動画は第1楽章です↓
ショパンは友人に恵まれていますね!
ショパンの「幻想即興曲」について書いている記事はこちら↓
ショスタコーヴィチ:チェロ・ソナタ ニ短調
ショスタコーヴィチ(1906~1975)は、2曲のチェロ協奏曲のほかにチェロソナタも書いています。
このチェロ・ソナタはショスタコーヴィチが28歳という若い時の作品です。
チェリストの友人、ヴィクトール・クバツキーのために書かれました。
1934年にショスタコーヴィチのピアノ、クバツキーのチェロで初演をして成功を収めました。
プラウダ批判
1934年はオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」が初演された年で、このオペラは2年後「音楽代わりの支離滅裂」と「プラウダ紙」で痛烈に批判を受けます。
ソヴィエト体制下の中で、ショスタコーヴィチの創作活動にも危機が及んでいました。
ショスタコーヴィチは表向きでは体制に適応した様子を見せて、情勢に応じて巧妙に作風を変化させました。
ショスタコーヴィチの作品に触れると、彼がもし何の制約もなく作曲したらどんなだったのか、と考えてしまいます。
このソナタも後期ロマン派を思わせる第1楽章、猟奇的な第2楽章、第3楽章に悲痛な歌を挟み、風刺的な第4楽章で幕を閉じます。
若い時の作品ではありますが、一見強烈な性格を持つ他楽章に意識が奪われがちですが、挟まれた第3楽章で歌われる悲しみの声が、このソナタの真の声なのかもしれないと思いました(個人の感想です)
おまけ
私のおすすめショスタコーヴィチの交響曲
- 交響曲第5番
- 交響曲第7番「レニングラード」
ラフマニノフ:チェロ・ソナタ ト短調
ラフマニノフ(1873~1943)が1901年に作曲したチェロソナタです。
ラフマニノフはこのソナタを作曲した頃、交響曲第1番が酷評されたことなどによって鬱状態にあり、あまり創作が進んでいませんでした。
ニコライ・ダーリ博士の治療を受けながら「ピアノ協奏曲第2番」を作曲し、それが大成功!
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番についてはこちら↓
その後すぐにこのチェロ・ソナタに取り掛かりました。
このソナタは、友人のチェリストであるアナトーリー・ブランドゥコーフに献呈されました。
ピアニストであるラフマニノフが作曲しただけあって、ピアノパートが難しいことでも知られるソナタです。
そして、何より「第3楽章」が大変美しく有名です。
第3楽章のみ↓
全楽章↓
まとめ
個性豊かなチェロソナタたちをお聴きいただけたと思います。
書いていて思うのは、やはり名曲の裏にはチェリストの友人の存在が大きい!!
作曲家とチェリストが協力して、後世に残る素晴らしい作品ができたんですね。
今を生きる作曲家の方達にも、チェロのお友達を見つけてどんどんチェロの可能性にチャレンジしてもらいたいです!
\チェロ協奏曲はこちら/